今回は、わたし自身の根っこにまつわるお話です。
なぜ英語を学ぶことが好きなのか、っていうと、最初は本当に異文化と純粋にコミュニケーションしたくて、そのために英語が話せるといいのかなぁって中学生の頃にシンプルな願望が生まれたから。
そして、高校時代に留学生のメリッサとクラスメイトとなったことで、その思いはますます高まり、英語を学べば学ぶほどカタコトなりとも意思疎通がスムーズになっていく楽しさを体感。そこから本当の意味で異文化への扉が開かれていった気がします。
その後社会人となり、複数の国々のバックグラウンドを持つ人々と接点ができ、10数年の海外往来活発だった人生を振り返ってみると、コミュニケーションの大切さはもちろんなのだけれど、それぞれの国の政治や経済や文化を少しでも知ることで、自分の中の「こうあるべき」と無意識に植え付けられてた価値観や感覚(例えば、初対面の人に対する礼儀など日本でいわゆる美徳と呼ばれる範疇のこと)がいとも簡単にー良くも悪くもー崩れ去り、
あるときは「ああもっと自分を開いていいんだ~」とラクになったり、あるときは「ああ日本ってなんて上品な作法が存在しているんだろ」、と母国の良さに気づけたりーとにかく好むと好まざるとに関わらず、今までの判断基準がいったん崩される、という経験をしたのですよね。
これらの経験はとても得難い出来事だったな、と感謝しかなくて、自分のものさしがいかにちっぽけなものか本当に思い知るばかりでした。
たとえどんな小さな単位のつきあいの中であったとしても、人間っていうのはお互い違って、それを受け止めていきながら関係性が育まれるものなんだなあ、と理屈でなくこころからそう思える基盤ができたというか。
なので。
英語からはじまる異文化への扉を開くことは、なにも西洋文化かぶれになるための鎧を手に入れることではなく、異なる人や考え方や文化etc...違いってものをどこか俯瞰して楽しめるような感覚を発見できたり、肚落ちさせたりするための旅なのではないかと思っています。
一方で、まったく違う文化、ライフスタイルを歩んでいるのに「え?」っていう場面で共感、共鳴できる面白さもこれあり。こんな共通点があるんだ~!みたいな。
ものの見方や考え方の違いにイラっとするより、世界は実にさまざまなピースで成り立っている、と体感できれば「ああ、そういう捉え方もあるかもねー」と、気楽にポジティブに対処できる。
それって精神衛生上かなりラク〜なことで。
英語を学ぶことって、異文化に気後れしないだけでなく、他人の言動に目くじら立てず単なる「違い」があるんだなあ、とニュートラルに戻ってさらりと受け流せばよいだけだから、実はふだんの人間関係や仕事への関わり方などさまざまな場面でよい作用がある気がしているのです。
すごくざっくりいうと「多様性」っていうことが前提な考え方になってくる。あの人もこの人もきっと同じ考え方のはず、って思うからしんどい。(これって相手が外国人だから、じゃなくて家族同士でさえ感じることありませんか?)
無意識のうちに相手も自分に同調してくれてるはずだ、って思ってるから、自分と同じでない考え方ややり方に腹が立ったりイラっとしたりするのですよね。概して。。。
本当の意味で相手を「個」として尊重できればきっとその違いを受け止められるばかりかむしろ楽しめさえするのですが。
そんなこんなで、少々長くなりましたがこれが今回のタイトル「なぜ英語?」のわたしなりのアンサーなのでした。
さて。
みなさんにとっては英語を学ぶってどんな感覚なのかなあ???
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