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想いをことばに。


前回の記事で、「書く」という行為がどれほどその人そのものを解き放ち、純粋な姿が浮き上がるか、ということを具体的なケースでご紹介させていただきました。


そうこうしているうちに、「やっぱり言葉って本当、諸刃の剣だなあ」と思わざるを得ない社会的なインパクトが続いて(ええ、我が国のトップの率直なメッセージが伝わらないモンダイや国際的組織を担うあの方の失言問題などのことです。。。)、あと自身の生活の中でも、直接会うよりメールやSNSなどでの「書きことば」でのやり取りが主流になって、改めて言葉について向き合う日々。


「なぜ、その言葉にはそんなに共感できるんだろう?」

逆に「なぜこうも全く共感できない?響かない?」

そんな両極端な自問自答が振り子のように行ったり来たりしていました。


これってフィーリングの問題だったり、その時の自分の心境だったりさまざまなんだろうけど、なにかこう共通点があるはずなんだよなあ・・・って。


ーすると。

ある日ふっと・・・本当にふっとわかりました。

絶対的な答えとしてではなく聞いてほしいのですが、わたしが導き出したひとつの鍵は・・・

「どれだけその人(聞いてくれてる、読んでくれてる人)に寄り添えているか」


そこでした。

目には見えない、とっても感覚的なことです。でもこういうのって、書き言葉であれば行間ににじむし、直接の会話ならなおさら表情や口調にダイレクトに表れる。


寄り添う。という言葉も曖昧ではあるけれど、なんだろうな、思いやりが横たわっているというか、「あなたをちゃんと思ってますよ」というようなそんな気持ち。


つまりはーその相手のことを肯定している。ってこと。全面的に。


否定とか非難とかそういう気持ちが少しでもあると、字面ではそんなとがった言葉を使ってないとしても、全体としてすごく攻撃力を持ってしまう。

そういうときの言葉はもはや棘と化してしまう場合もあります。


ーとまあ。

そんなことを感じる出来事がちらほらあった、っていう戯言でした。笑


きっと引っ掛かりが何かある、ってことは、たぶん何かしら意味があって、いつも自分の内側をゼロに持っていったり澱みがあればクリーンにしたり、そういうことが必要だよ、っていうサインなのかもしれません。


さて!

ずいぶんと過ごしやすくなった陽ざしの中、きれいで楽しいことばの作品などにもっと触れてみようかな。さしずめ、近く谷川俊太郎さんの言葉がちりばめられている展覧会に行く予定なのでとっても楽しみです♪


ではまた書きます~

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