ずいぶん前に、英語を学ぶ際のコンプレックスとの向き合い方的な話をコチラに書いたことがあります。ですが、最近改めてこの「コンプレックス」についてハッとすることがあったので書いてみます。
今、とある地域活動に関わっていて、年齢やバックグラウンドなど関係なくアートを軸にまちづくり♪というテーマで、つながりあってる仲間がいます。
で、先日この仲間とのミーティングで、高校生たち(全員男子)がこういう活動に関わってどんなbefore/afterがあった?というやり取りになり、その男子曰く、活動前は
「自分はコミュニケーションにとてもコンプレックスがあった」とのこと。
けれども、いろんな人たちと交わる中で、どんな意見も聞いてもらえて、否定がなくて、今では人と話すことも苦ではなくなった、と。だからもし同じような学生さんがいたとしたら、こういう活動にぜひ参加してもらったらいいと思う、自分の成長のためにも。って話してくれました。
このまっすぐな声にしみじみ耳を傾けながら、できればずっと隠していたかったもしれない「コンプレックス」の話をこうして大人たちに向けて話したことで、彼はもう完全に重~いなまりのような気持ちを脱却して、むしろ成長のためのエネルギーにしたのだなあ、と思いました。
本人はきっと無自覚なのだろうけれど、とても軽やかでキラキラした表情がそれを物語っていて、叔母のような気持ちでキュンとなってしまった次第。(笑)
そう、できないこと(と思い込んでいること)を話したりすることが逆に多くの人のこころをぎゅっと掴んで、共感をよんで、波紋のようにその空間や人間関係に光が広がるのだなあと。
これは英語のコミュニケーションとは違う場面での話ですが、本質はまったくおんなじ。
自分で苦手、避けたい、と思えば思うほど自分自身が苦しいのだけれど、いざさらけ出してしまえば、思いのほかそれを誰も悪く言う人なんていないし、むしろその素直な気持ちに多くの人が心打たれることでしょう。
それがその人の飾り気のない「個」なのだし、人と人とがつながるってそういうパーソナリティに触れる機会があるからこそもっと知りたくなるし、楽しくなる。
そんなコミュニケーションマインドの原点に立ち返らせてくれた出来事でした。
それにしてもー若さってすごい~!!!と手放しで賞賛する日が来るとは・・わたしもずいぶん遠くへ来たものよ・・・
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